ヒーロー映画としての『この世界の片隅に』

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

 映画『この世界の片隅に』を公開翌日の11/13に池袋で観てきた。

ネットで評判の良い映画を観に行く程度の映画好きとして、この映画もその前評判の高さから期待を無茶苦茶高くしていたのだが、期待をはるかに越えるどころか散々に打ちのめされるレベルだった。恐らく映画史に残るであろう映画がリアルタイムで観れるというのはなかなか無いと思うので、少しでも興味があればぜひ観にいってほしい。

 

 しかし、この映画はその素晴らしさにも関わらず本当に感想が書きづらい。内容もディテールの詳細さ含めて書くべき事がないどころかありすぎるぐらいなのだが、「容易に感想を書いてはいけない」という気にさせられる。

 恐らくそれは、この映画が主人公浦野(北條) すずさんの人生をあまりにも実感を込めて描いているから、容易には語れない、語ってはいけないという気にさせてしまうからではないか。(普通の人間は他人の人生を簡単におもしろいだの感動したなんて言わないし言えない。自分の人生だってどうなるかわからないのだから、ここで簡単に言える人間は評論家か作家の才能があると思う)

 

 ここまで言った上で何か書くことがあるのかと自分でも思うが、とりあえず一回観にいっただけの時点での泣いたポイントを控えておこうと思う。内容にも触れてるので続きを読むで

 

 ①開始直後

自分でもビビったのだが、開始数分で涙が滲んできた。我ながら理解不能だったが、あえて理由をつけるとしたら「描かれる広島の賑わいが、原爆投下後の光景を想起させて泣いた」「細部のあまりの詳細さに作り手の気概を思って泣いた」といったところか

 

②空襲開始後

開始直後から中盤くらいまではちょいちょい涙滲みつつも、多少引いた視線で眺められたのだが、空襲が始まってからは「本当に本当にやめて、やめてくれ」といった涙が滲んでしょうがなかった。

作品に感情移入することはほぼないし、正直感情移入派には懐疑的なぐらいなのだが、描写の積み重ねで登場人物を実在の人物に思えるほどの感情移入をしたのだと泣きながら驚嘆させられた。(感情移入しすぎて再見する踏ん切りつかない……心に余裕がないとあかん)

 

 ③焼夷弾を消し止めるすずさん

 このシーンが自分では最も涙が滲んだのだが、正直上映中はなぜこのシーンにそこまで感情を揺り動かされたのかよくわからなかった。

とりあえずここについての自己分析を感想メモとして残しておきたい。

タイトルにも書いたが、結論としてはこのシーンで自分はすずさんにヒーローを見たのではないか?と思う。

 

このシーン以前ですずさんは大事な人と、それこそ生きがいのようなものを同時に失った。失意の中で、すずさんは嫁いだ家で焼夷弾の直撃に遭う。

焼夷弾の炎を見つめるすずさん。嫁いだ家が燃えてしまえば、自然と実家に帰ることになるだろう。これまでの人生でこれといった決断をせず、いつも流されてきたすずさんであれば、焼夷弾が家を燃やすがままにしてもおかしくはない。

しかしすずさんは、少しの間をおいて、声にもならぬ声を上げて、自分の服が燃えるのも構わず布団を抱えて炎に飛び込む。そのときのすずさんの表情!能年玲奈の声!

正直一回見ただけで、はっきり記憶しているわけではない(ただでさえ涙でよく見えなかった)。

しかし、あのシーンを観る為にもう一度映画館に行きたい、そう思わせるほどの力があったことを残しておきたい。

あのときのすずさんはまさしくヒーローであった。

 

すずさんがあのとき何を考えていたのかはわからない。愛する人の家を守りたかったのか、家を空襲で失った人の背中を思い出して、そうするべきと思ったのか、明確な理由はわからない。しかしそこに自分のエゴを超えて行動に移るまさにヒーローの姿を見て、自分は心を揺さぶられた。

孫引きであるが、アラン・ムーアのヒーロー論を引用する。

 

 「我々はみんなすごいパワーを持ってるが、たいていの人間はソファに座ってビールをかっくらってテレビを見ているだけだーーーもしテレパシーとかスーパー・ブレスとか飛行能力とか無敵の身体を手に入れたとしたって、やっぱりソファに座りこんでテレビを見ながらビールを飲んでるだろう……我々が阿呆なら、できあがるのは光より早く走ってかっちょいい服を着た阿呆だ。それで世界がよくなると思うかい?
 重要なのは普通の人間こそが素晴らしいものだということなんだ。普通の人ができること、普通の人間が可能なあり方こそが素晴らしいんだ。世界を良い場所にも悪い場所にもできる、そのことが素晴らしいんだ。スーパーパワーなんて要らないんだよ……『ウォッチメン』やそのあとの作品で、わたしが言わんとしていたのはそういうことだ」
(柳下 毅一郎、『新世紀読書大全 書評1990-2010』p163、初出〈映画秘宝〉2009年5月号)

繰り返しになるが、あのシーンで自分はすずさんにアラン・ムーアがいうヒーローを見た。

それまで状況に流されるままであった主人公が、自分でも理解できぬまま、自分の身を省みず、守るべきと考えたものを守る、それはまさにヒーローの行いだった。それが自分の感動の正体ではないかということを残しておきたい。

そしてそれが、それまでの人生で決断らしい決断をしてこなかった主人公が、己の内から湧き出る衝動に任せてはじめて行う決断であった、という構造に、自分は心の底から感動したのではないか?ということで、とりあえず一回視聴後の感想メモとして残しておく。

 

あのシーンを観るためにも再見したいのたけど、あまりにも心を揺さぶられすぎて、タイミングがつかめない。創作でこんな経験をさせられるのもまたはじめてで、こんな作品を生み出した原作のこうの史世さんと片渕須直監督には脱帽するしかない。本当に素晴らしい作品をありがとうございました。

 

※念のため、『この世界の片隅に』は素晴らしい映画で、こういう変なカテゴライズをする必要はないのだけれども、こんな読み取り方もできるという一例としていただきたい