シン・エヴァネタバレワードリスト(案)

シン・エヴァ未見だった奥さんのために、Twitterのミュートワード用にリストを作りました。

直接の用語と、匂わせで使われそうなのをだいたい時系列で列挙してみたので、作品の振り返りにもなって視聴済みの方はニヤニヤできるかもしれません。

未見の人に誰が登録してあげるのか?……さあ……

 

 

 

 

 

 

 

 

感想はまた別途……

 

 

 

西野サロンを「宗教っぽい」と批判している人に伝えたいこと

先週は西野亮廣エンタメ研究所の話題で持ちきりで、自分もブコメでヒートアップしてしまったので、超久々に記事を書く。

まず結論からいうと、タイトルの意味は

西野亮廣エンタメ研究所は宗教っぽいのではなくて、宗教そのもの」

ということです。以下はその理由と、関連して伝えたいことを書きます。

 

理由

自分は宗教とは昔の人がみんなで集まるために作った方便”だと考えています。

研究者でもない素人の戯れ言ですが、根拠は以下の経験です。

自分自身は具体的な宗教を信仰していませんが、大学時代に宗教学を勉強したときに、フィールドワークで新宗教に潜入したことがあります。

宗教団体の信者が何をしているか、一般的なイメージとしては以下のようなものではないでしょうか。

・信者は教祖にお金を貢ぐ

・信者は教祖の言葉や本を研究し、信者同士で信仰について語り合う

・信者以外の人間を見下している

もちろんそういう宗教もあるでしょうし、n=1の例を一般化は出来ませんが、自分が経験したところは

・日曜日に信者で集まってお経を唱える

・お金の話はしないのでよくわからない(建物は立派)

・集まった後みんなでお弁当を食べたりお茶を飲んで自由解散

こういう活動がベースでした。正直つまんねぇな、と思いました。

もっとこう、ヤバい宗教感がないとレポートも書きづらいな……と思っていたところ、年に一度『全信者が集まり、徹夜でお経をあげて、燃える炭の上を裸足で歩いたりする』イベントがある、と聞きました。

(これはついにヤバいものが見れるかも)と参加してみましたが、実際はこんな感じでした。

・徹夜でお経をあげるけど、高齢者が多いので疲れたら横になれる仮眠スペースもあるし、甘酒や豚汁の振る舞いサービスでお祭り気分

・徹夜のテンションでみんなハイになるが、「今年は寒いけど頑張ろうね!」とかで盛り上がるだけ

・火渡りも「いけるいける!」「ガマンガマン!」「やったー!」みたいな感じで完全に運動会のノリ

 

この経験を通して感じたのは、この人たちは別に信仰とか関係なく、他人と集まりたいからその理由づけに宗教を使ってるだけでは?ということでした。これが自分の宗教理解につながっています。もちろん異論反論あるでしょうが、テロとか起こさない宗教の信者ってこういうのが多数派だと自分は思ってます。

東南アジアに行ったときも、各国キリスト教国とかイスラム教国とかいいますが、実際話を聞いてみると「別に信じてないけど、家族で毎週教会に行くのが習慣になってる」みたいなのが現実のようでした。

 

人と集まるのが主目的という意味で、西野サロンはまさに宗教、というのが自分の理解です。

そして他人が自分の理解できない理由で集まっていると、それは宗教と見分けがつかないという意味でこのようなブコメをしました。

俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なものに勝てない話(追記)

反発あるだろうけど、オタクが推し活とか公式を支援とか言って貢ぐのと、西野亮廣エンタメ研究所がやってること、本質的には違わないと思う。自分も含めてほとんどの人は自分以外のなにかに夢中になりたいんでしょう

2021/01/19 11:39

“投げ銭”で1億5000万円超の人気者も登場、日本発で世界を見据えるVTuberプロダクションの野望 | DIAMOND SIGNAL

これとキンコン西野のエンタメ研究所と何が違うん?となったとき、ファンとしては全然違うと言いたくなるだろうけど、部外者からはどっちも同じように異常だと感じるだろうし、オタクにもそういう自覚が必要だと思う

2021/01/19 12:57

スターも集めましたが、反発も当然ありました。

いや、わかりますよ?実際ぜんぜん違うのは。自分もオタクだし。

ただ、西野サロンも宗教も推し活もVTuberファンも部外者からはどれもちょっと異常に見えるというフラットな認識をしたほうがよいのではないか、一概に全否定するのはどうか、というのがブコメの趣旨です。

(もちろん犯罪や詐欺は許されないですけど、何事ものめり込みすぎ・他人への無理矢理な勧誘はいけないということでしかないと思います。私もハマった作品のBlu-rayを無理やり貸したり、映画代払うからといって友人を連れて行ったりしましたけど、やり過ぎないようにしています。普通しない?……そう……)

 

西野サロンを叩く人に伝えたいこと

・人間が集まると変なことになりがちなのは部活だって会社だってそうだし、サロンや宗教が特別ではない(借金玉さんがずーっと言ってるやつね。

参考

・サロンや宗教を中身を踏まえず否定するのは、オタク趣味とかをイメージだけで否定してきた世間と同じだからやめよう

・サロンや宗教を冷笑していると、人と集まって盛り上がることがしづらくなるのでは?今はよくても将来そういうものに参加したり頼ったりすることになるかもしれないし

・それはそれとして西野は自分も大嫌いなので、法に触れてることが明らかになったら全力でぶっ叩こうな!明らかなボロを出すまでは“見”で

 

西野サロンのメンバーに伝えたいこと

・あなた方を叩いている人は実態を知らないので、ひどいことを言う人は無視しましょう

・私はダメリーマンで、現状仕事と育児でいっぱいいっぱいです。本心では仕事でもっと成長したり、有名になったりしたいけど、行動出来ていません。実際に考えて行動しているあなた方はすごいです。

・それはそれとしてサロンのやってることは宗教です。そう言われて頭にきたとしたら、勉強不足です。オリラジの中田さんもサロンと宗教の相似性についてこう言っています。

・宗教について興味が湧いたら、架神恭介先生の『完全教祖マニュアル』オススメです。ぜひ読んでみてください。

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

 

・仕事も趣味も、のめり込みすぎると身体や心を壊してしまうように、サロン活動も用法用量を守って取り組みましょう。並行して他のボランティア活動や自分の趣味にサロン経験を活かせないか試してみてはどうでしょうか?

・もし悩みがあるなら話くらいなら聞きますよ

 

まとめ

  • この記事で言っていること
  1. 西野サロンは「宗教っぽい」のではなく「宗教」
  2. サロンも宗教もオタク活動も他人が印象だけで全否定するのはやめよう
  3. 何事ものめり込みすぎるのは良くない。用法用量を守ってやろう

 

  • 言っていないこと
  1. 西野サロンのメンバーは頭が悪い
  2. 西野サロンを叩く人は頭が悪い
  3. 西野サロンを叩く人は陰キャ非モテ
  4. サロンも宗教もオタク活動も素晴らしい、批判する奴はクソ

 

参考

・オタクと宗教で検索したらこういう研究者が出てきました。興味深い部分を引用します。

キャラを二次創作する活動自体が「宗教」であるとは言い切れませんが、そこに「宗教的な原理(=宗教性/スピリチュアリティ)」が働いていることは、疑いの余地がありません。どういう原理かと言うと、キャラを通して「現実」と「理想」を結びつけようとするファンの意気込みです(宗教学では、前者を「日常/俗」、後者を「非日常/聖」と呼ぶ)。仏教やキリスト教といった世界宗教において、人々が預言者・教祖・聖人たちを偶像化し、個々の人生の模範・指針とみなすのと同じ原理です。

 

・ひとりで生きてきた人間が、死ぬときはどうなるのか?ひとりで死ぬにはどうすればいいのか?というテーマで、カレー沢薫先生がそのものズバリを現在進行中で扱ってて注目してます。誰にも頼らず生きていく、というのは現実的に難しいようです。

 

 

西野亮廣エンタメ研究会の客観的な内情はこちらのブログがまとまってるように思いました

 

・記事で言ってること・言ってないことメソッドは本しゃぶりさんからパクリました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『ジョーカー』感想 明日から頑張ろう!と思わせてくれる名作でした

Call Me Joker

wwws.warnerbros.co.jp


ジョーカー、公開2週目の日曜日、台風一過の翌日に見てきました。


超〜良かったですね!
事前の評判だと陰々滅々として凹みかねないな、それだけならまだしもジョーカーと同一化して休み明け職場の上司や同僚に危害を加えかねないかもしれないな、大丈夫かな、そしてそんな映画が台風明けの3連休中日に満員御礼とかやっぱりこの国は病んでいるな……とか思ってたら、確かに序盤から中盤は主人公アーサーの辛い境遇と、共感性羞恥を引き起こす描写の数々でストレスが溜まったものの、終盤にかけて「自分のやりたいこと」と「得意なこと」が重なってイキイキしてくるアーサーに(殺人だけどネ☆)、自分もやりたいことをやってイキイキと生きていきたいな!と思わせてくれる素晴らしい人間讃歌の作品でした。

映画館を出るときはジョーカーのようにスキップして踊りだしたい気分に。あーいい映画を見れた!幸せ!

なので、評判だけでKKO!問題提起!社会批判!みたいな作品かなと思って敬遠している人には、「いや、そういう見方もできるけど、第一によくできたエンターテイメントなのでぜひ見てみて〜」となる映画だったので、劇場にどうぞ!以上感想終わり。


ざっと見て、まず自分と同じような感想を得ている人としてはマシーナリーとも子さんとか黄金頭さんでした。
(マシーナリーとも子はネタバレバリバリなので注意)



読み応えのある批評としては、漫画皇国さんの下記記事がおすすめです。


(この記事の言うとおり、「この映画に影響されて犯罪者が出てくるかもしれない」とか言ってるやつは「自分はそんな状況でも自制できるが、あいつらはどうなるかわからないぞ?みたいななんの根拠もない区分を設けているクソ野郎だと思うよ)



あと、好きだったギャグ描写としては、予告でも流れている階段を踊りながら降りるジョーカーが、実は後ろに警官がいて、完全にヘンな人になってるのをポカーンと見ているカットと、そこから始まる鬼ごっこが完全にチャップリンとかのコメディ映画のノリ、それがラストのアーカムアサイラムでも繰り返されるというあまりにも取ってつけたコメディ要素足しときました感で笑えました。人生は喜劇だ!


ついでに、ジョーカーの年齢だとバットマンと戦うには無理あるよねーというのは自分も見ながら思っていて、多分アーサーはジョーカーというミームのきっかけで、それからアーカム精神病院の患者でそのミームに感染した人間がジョーカーとして現れてきたのかなーと思ったり


ヒーロー映画としての『この世界の片隅に』

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

 映画『この世界の片隅に』を公開翌日の11/13に池袋で観てきた。

ネットで評判の良い映画を観に行く程度の映画好きとして、この映画もその前評判の高さから期待を無茶苦茶高くしていたのだが、期待をはるかに越えるどころか散々に打ちのめされるレベルだった。恐らく映画史に残るであろう映画がリアルタイムで観れるというのはなかなか無いと思うので、少しでも興味があればぜひ観にいってほしい。

 

 しかし、この映画はその素晴らしさにも関わらず本当に感想が書きづらい。内容もディテールの詳細さ含めて書くべき事がないどころかありすぎるぐらいなのだが、「容易に感想を書いてはいけない」という気にさせられる。

 恐らくそれは、この映画が主人公浦野(北條) すずさんの人生をあまりにも実感を込めて描いているから、容易には語れない、語ってはいけないという気にさせてしまうからではないか。(普通の人間は他人の人生を簡単におもしろいだの感動したなんて言わないし言えない。自分の人生だってどうなるかわからないのだから、ここで簡単に言える人間は評論家か作家の才能があると思う)

 

 ここまで言った上で何か書くことがあるのかと自分でも思うが、とりあえず一回観にいっただけの時点での泣いたポイントを控えておこうと思う。内容にも触れてるので続きを読むで

 

続きを読む

アラン・ムーアのヒーロー論メモ

新世紀読書大全 書評1990-2010

新世紀読書大全 書評1990-2010

 「我々はみんなすごいパワーを持ってるが、たいていの人間はソファに座ってビールをかっくらってテレビを見ているだけだーーーもしテレパシーとかスーパー・ブレスとか飛行能力とか無敵の身体を手に入れたとしたって、やっぱりソファに座りこんでテレビを見ながらビールを飲んでるだろう……我々が阿呆なら、できあがるのは光より早く走ってかっちょいい服を着た阿呆だ。それで世界がよくなると思うかい?
 重要なのは普通の人間こそが素晴らしいものだということなんだ。普通の人ができること、普通の人間が可能なあり方こそが素晴らしいんだ。世界を良い場所にも悪い場所にもできる、そのことが素晴らしいんだ。スーパーパワーなんて要らないんだよ……『ウォッチメン』やそのあとの作品で、わたしが言わんとしていたのはそういうことだ」
(柳下 毅一郎、『新世紀読書大全 書評1990-2010』p163、初出〈映画秘宝〉2009年5月号)

アラン・ムーアの発言としてTwitterとかで見つかるけど、出典がわからなかった。最近柳下毅一郎さんの『新世紀読書大全』読んでたらそれらしいのがあったのでメモ代わりにブログに載せとく。

正直この引用だけだと条件満たさないので少し付け足しとくと、ガッチャマンクラウズペトロニウス氏のブログ(物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために)でよくいわれている脱英雄譚みたいなことを踏まえて、その辺を一番はじめに自覚的にやったのはアラン・ムーアなんじゃないの?と思ったから。

しかしこの引用の元発言自体が出典書かれていないので、アラン・ムーア本人の発言はどこなんだろう……この辺ふまえてで近年の日本のアニメマンガについてなんか考えたいことや言いたいことがモヤモヤしてる

身につまされる『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』読んだ

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと


ブログも好きで読んでる(最近は小説執筆が忙しそうだが)和田一郎さんの本、今更ながら読んでみた。買うだけは発売日に買ってたんだが

自分も子どものころとかは「サラリーマンなんてなりたくないぜ~そんな人生では満足できないぜ~」とか嘯いていたくせに、案の定サラリーマンとして日々糊口をしのいでいるのだから笑っちゃうが、和田さんの後悔はまたそういう人間にピタッとはまっており、胸に痛い。

クリエィティブな能力の開花は、早熟な人もあれば、かなり遅咲きの人もいる。就職する頃にその分野で何か注目を浴びるような仕事をしていない人は、早熟であることを諦めた方がいいのではないだろうか。

(自分の仕事が事務系なこともあり)誰がやろうとあまり変わらないと思うと、せっかくなんだから自分にしか出来ないことをやるべきなんでは?とか思って発作的に辞めたくもなるのだが、とりあえず天才でないのは自明な年齢なわけで、うーん、まずは仕事を頑張って幸福な家庭を築くべきかとか余計な雑念ばかりが募る年頃なんやよねえ……


そしてサラリーマンとして、組織人として生きていくこと、出世することの大変さもわかってくると、そういう人を見る目も変わる。「家庭の事情」が数十年存在しない人なんてまずいないわけで、ほとんどの人は何らかの苦労を抱えながら、かつ仕事も回していると思うと、サラリーマンや組織人を馬鹿には出来ませんわ。

(学校の部活を思えばわかるけど、せいぜい十数人から数十人の中でレギュラーになるのも大変なんだから、会社で成功するのも大変なんだということに子どもの頃は気づかんもんなんだと今更反省する)

和田一郎さんは失敗したというけれど(この辺finalventさんにも近いが)現在は会社を興して軌道に乗せ、単著出してるわけで十分チャラにしてるというか大成功だろ!と思わされるので過剰な感情移入は危険だが、人生振り返るいいきっかけの本でした。小説も楽しみにお待ちしてます。


さてどうすっか自分の人生……

アニメ『ガッチャマンクラウズインサイト』の最終回みての感想(編集中)

「GATCHAMAN CROWDS insight」Vol.1 Blu-ray

「GATCHAMAN CROWDS insight」Vol.1 Blu-ray




終わってしまった。今季はガッチャマンクラウズにニンジャスレイヤーのアニメもあって、毎週楽しみな作品がある楽しい3ヶ月でした。生活に張りがあって良かった……。来期はどうだろうか

ガッチャマンクラウズ1期は感想も多く上がってて、それに比べると2期インサイトはあんまり感想なくて悲しかった(自分で書けよという話である)

2期だし敷居が高いのもあるだろうけど、色々理由もあるよなとファンとしてネタバレ全開で語ってみたい

■ストーリーとテーマについて
本当はデザインのこととか語ってみたいんだが、門外漢なのでテキストについてのみ。

……ぶっちゃけストーリーつまんなかったよね?というのが正直な感想になる。
テーマに沿って話をこなした感じで、意外性がなかった。
「空気に流されてはいけない」→アッハイ
「流されないためにはよく考えることが大事」→アッハイ
その通りすぎて何もいえねえ……と。

1期が人間の限界をテクノロジーで解決するみたいな部分もあったので、2期も空気の問題をテクノロジー云々で解決策示すとかちょっと期待したところもあり肩すかしだった
(まえに流行った『なめ敵』みたいな発想で。読んでないけど)

しかもそのテーマを登場人物がぺらぺら喋るから興醒めだよ!とちょっと投げ出しそうになった
(でもTwitterなんかだときれいにまとまったという評価もみる。無駄に物語に触れすぎたおっさんには刺激が足りなくとも、若者にはちょうどよかったのかもしれない……とその時は思った)


■最終2話で視聴者にケンカ売ってきた

そんな感じで、正直あんまり乗れないなと。それでもはじめちゃんやルイルイはかわいいし、丈さんや清音パイセンが喋るだけで笑えるのでキャラクター重視な鑑賞姿勢だった。

期待はしつつも、このまま予定調和で終わるかと見せかけて11話と最終回12話で、個人的にえっ、となる展開があった。マイナスな意味で。

あえて抽象的に要約すると

・世間の憎悪が特定人物へ集中し、排斥の空気が高まる
・主人公が能力でその特定人物に変身し、あえて仲間に自分を攻撃させる
・その様子を世間に公開し、空気を変える

こんな元気なはじめちゃん(主人公)が
f:id:esbee:20150928213237j:image

こんな姿に
f:id:esbee:20150928212458j:image


それは悪手じゃね?という展開で、これをどうするかということで色々考えることがあった。どう悪手かというと、具体的には以下のブログからの引用部分参照
はじめによる、(「サル」たちを目覚めさせるための)英雄的な自己犠牲というような形で物語を納めるのだとしたら、一期からずっと積み上げてきたこの作品の「思考」を台無しにすることになってしまいかねない。確かに、はじめは、一期の当初から並外れた賢者であり超人であった。しかしそのような超人もまた、多の中の一人でしかないというのが、この物語の画期的なところなのではなかっただろうか。
仮にはじめちゃんがただ空気を変えるためだけの目的で、『正しい答え』を指し示すとかでもなく一旦立ち止まって考える時間を与えたいだけであっても、やはり大衆を目覚めさせる、正しい方向に導けるのは一握りの超人しかいないのかもしれない、と受け取り手に思わせるようなラストでは、この作品が積み上げたもの、個人ではなくみんながヒーローにならなくては、といった「思考」を台無しにするのではないか?


そんな不安と予想を裏切るのでもなく、ラストの感想は見事に混在していると私には思えた!
やっぱりヒーローには自己犠牲の精神が必要だと述べる者、結局一ノ瀬はじめという特殊な個人頼みかと嘆く者、これは自己犠牲などではなくあくまで一ノ瀬はじめという個人の選択にすぎないと考える者。
ぜひ感想を漁ってみるといいと思う。

※後者の例


これは実際恐ろしいことをやったな、というのが自分のインサイトへの評価になる。

さんざん自分で考えろ、といったテーマを誤解されないよう伝えてきた上で、宿題の如く最終2話を突きつけてきた!

あなたはこの結末をどう捉えるのか?

・煽動家は空気を読んで嘘泣きする

・はじめちゃんを神格化する群衆もいる

・その群衆を批判するガッチャマン、しかしそれも自分の好む方向に誘導しているだけでは?

・混乱の原因たるクラウズやくうさまは変わらず存在し続ける

・昏睡から目覚めたはじめちゃんは変わったようで変わらないつばさちゃんにつっこむ

 (相変わらずッスね)

受け取り手を信頼しているといえるかもしれないが、視聴者を試すような舐めくさったマネともいえる。
自分のような前期からのファンには作り手への信頼と物語構造への予想へのひっかけをくらわせつつ、前期を知らない受け取り手にはこの作品が求めるところを端的に実感させた試みだったのでは?
(成功したかはわからん。こんなこと言ってるのは自分だけだし。ただ自分はインサイトをトップクラスに楽しんだ自信があるw)

作り手にうまく踊らされていたとしても、自分は最終2話の展開でこの作品についてきて良かったと思わされた。円盤も買っちゃう!3期もしくは監督の新しい作品にまた期待したい


f:id:esbee:20150929192330j:image
ガッチャ!

インサイトのラストは一ノ瀬はじめの自己犠牲なのか?

またはヒーローとはなにかについて