引っ越しするやつはそんなに偉いのか? 『マイルドヤンキー』論に思うこと

「引っ越しが趣味」って人は健全な気がする - (チェコ好き)の日記
おもしろかった!自分も身軽な生活というのには憧れる。どのような環境でも生きていけるというのは、人間として自立している感じがあり憧れる人は多いのではないか。
俺もスタバでMBAを広げてノマドワーキングしてみたい。場所や地域にしがらみなく生きていく……カッコイイ!


ただ……地方に居続けること、同じところに住み続けることがことは悪いことなのか?とも思う。
これについてつらつら考えてみたい。
特に最近『マイルドヤンキー』なるものが話題になっているようで、この辺の記事もホッテントリになってたが、使われ方はどうも批判的だ。
マイルドヤンキーには選択肢がないという話 - 価値のない話
しかし自分には『地元から出ない』彼らにこそ担われているものがあるような気がしてならない。


-文化を定着し、維持するのは引っ越ししない人たちなんじゃないか?

はてなーは地方のエリートが多そうなイメージがあるが、そういう視点からは地方とで名をあげて上京し、都会で活躍し故郷に錦を飾ることがよい人生って思ってそう。(私もだ)
でも、例えば、地方の祭りやイベント、歴史的建造物なんかを維持するのは引っ越しし続けるような人間ではない。特に第一次産業、農業・林業水産業や伝統工芸品なんかはそうだろう。
一生を同じ地域で過ごすことでしか維持できない・成り立たないものがあると思う。


- 各地を点々とするエリートは文化的には他者が育んだ文化へのフリーライダーでしかないのでは?

日本の文化ってものを考えた時に、東京だけで成り立っていると思うだろうか?
地方の文化や遺産、それもひっくるめて日本だと思っているのが普通だろう。
さらに休日に地方に観光に行ったり、帰省したり……そういうものを維持しているのはそこを終の住処と考え、日々の生活を営んでいる人だ。
そう思えば『マイルドヤンキー』なんて呼び方は不遜だと感じる。


-まとめ

散漫になっちゃったが、言いたいこととしては最近どうも地方に住み続ける人、移動しない人を見下すような風潮を感じている。特に『マイルドヤンキー』という言葉に。
だが文化の担い手としては彼らのほうが重要な役割を果たしているのかもよ?と言いたくなった。
はてなーはメタ的に外部者の視点でいることが偉いように思いがちだけど、メタな視点を持つには、メタでない地に足の着いた生活者ありきだよーということを言いたかった感じ。

地方への郷愁を感じない、もしくは観光や農産物の購入などで地方の恩恵を受けていないものだけが『マイルドヤンキー』に石を投げなさい。
以上。