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ポストNARUTOとしての『僕のヒーローアカデミア』

前の日記でヒーローアカデミアの魅力(梅雨ちゃん)について語ったけど、個人的にヒーローアカデミアをどういう風に読んでいるかについても書いておきたい。


タイトルに書いた通り、ヒーローアカデミアにはポストNARUTOとしての意図を感じている。もうすぐNARUTOが完結するにあたり、偶然なのかもしれないけど、それだけでは済まされないのでは?と妄想したり。


ネットの感想だとその辺踏まえて今後の展開までNARUTOみたいになるのではないか?という危惧も散見されて、考えることは誰でも一緒だなと。


NARUTOとヒーローアカデミアの共通点

はてな記法で表の書き方かあったから早速試す。

NARUTO ヒーローアカデミア
舞台 忍者学校 ヒーロー養成学校
ジャンル 能力バトル(忍術) 能力バトル(特殊能力)
登場人物 選ばれた能力者(忍者) 選ばれた能力者(ヒーロー)
ライバル 天才肌の同級生(サスケェ) 天才肌の同級生(爆豪)
主人公 アカデミーの落ちこぼれ(ナルト) 無能力者からヒーローへ(デク)

NARUTOとの相違点

上の表は共通点を挙げようと都合よく作ったので話半分で見て欲しいのだけれど、学校を舞台に落ちこぼれの主人公が成長していくという物語形式が似ている、というのは賛同できるのではないだろうか。


大きな相違点としては、NARUTOが忍者という裏工作や殺人などを想起させるある種ネガティブな存在だったのに対して、ヒーローアカデミアがヒーローというポジティブな存在だということが大きいと思ってる。NARUTOがネガティブな存在としての忍者にまつわる悲劇でストーリーを盛り上げたのに対して、ヒーローアカデミアがどうストーリーを展開していくのか。ヒーロー対ヴィランという勧善懲悪なストーリーが王道として楽しまれている気もするので。王道を貫くのか、ひねりを加えてくるのか……


今後の展開に願うこと

NARUTOの批判としてよく聞く気がするのが「落ちこぼれの成長物語だったはずが、火影の息子だったとか血統主義になってしまった」ということかなと思ってる。
ヒーローアカデミアも、「無能力者が後天的に身につけた能力で知恵と勇気で闘う」というところに魅力を感じているので、出来れば血統主義にならないといいな。


おわりに

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とりあえず梅雨ちゃんがかわいいから読もう!
でも一巻は梅雨ちゃんの出番がほぼなかった……
二巻に期待

『僕のヒーローアカデミア』がおもしろいよ

僕のヒーローアカデミア 1 (ジャンプコミックス)

週刊少年ジャンプで連載中の『僕のヒーローアカデミア』がついに一巻発売したので、応援エントリ書く。
これで人気が出たときに、はじめから目をつけていたと自慢出来る。
しかし、最近は『ガッチャマンクラウズ』や『γ(ジャンプSQ連載中)』なんかの「ヒーロー」をテーマにしたおもしろい作品が多くて嬉しい。
とりあえず『僕のヒーローアカデミア』の魅力を紹介するよ!

■蛙吹梅雨ちゃんがかわいい

だいたいこの一行で言いたいことは言い切ったので、あとは各自ググるなりして確認してファンになって欲しいけど、ものぐさな人のために微力ながら梅雨ちゃんの魅力を紹介します。

・見た目がかわいい

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梅雨ちゃんの詳しい説明はこの辺に譲るとして蛙吹梅雨とは (ツユチャンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
『僕のヒーローアカデミア』は“世界総人口の約八割が何らかの「特異体質」という設定で、能力を悪用する人間を取り締まる「ヒーロー」という職業があり、その養成学校が舞台“なんだが、蛙吹梅雨ちゃんの能力は「カエルっぽいはだいたいできる」というどうにもリアクションに困る能力なのだが、とりあえず見た目がかわいい。
カエルという好き嫌いが別れる存在をこれだけかわいいデザインにしている……スゴイ!
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※これはけろけろけろっぴ(参考)
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・能力が魅力的

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梅雨ちゃんはカエル的なことはだいたいできる能力。
・高い跳躍力
・壁に張り付くことができる
・最長で20mほど舌が伸びる
・胃袋を外に出して洗える
・多少ピリっとする程度の毒性の粘液を分泌できる
健全な青少年ならこんなにかわいい梅雨ちゃんに舌で巻かれたいと願うのは当然だろう。

分…泌…!!つぁ!!!
※胃袋を出すカエル(参考)
カエルは異物を飲み込むと胃袋ごと吐き出す:動物雑学情報館

・性格が素敵

「梅雨ちゃんと呼んで」とこだわるところもあれば、冷静に仲間を落ち着かせようとする面もある。
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こんな素敵なキャラクターが登場するマンガ!しかもおもしろい!読もう『僕のヒーローアカデミア』!第一話は無料で読める!

『僕のヒーローアカデミア』|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

ゆうちゃん事件と人生格差犯罪と笑い男事件 自己実現としての犯罪

ゆうちゃん事件ことパソコン遠隔操作事件 - Wikipedia、自分は特に興味はなく、ゆうちゃんこと片山祐輔被告の自白にびっくりしたのだが、finalventさんの記事(パソコン遠隔操作事件、雑感: 極東ブログ)を読みつつ思ったことをメモしておく。


finalventさんが繰り返し言う『シナリオ性』ってやつをこの事件には確かに感じる。
それは陰謀論って意味ではなく、なんというかフィクションのストーリーをキャラクターとして演じているような違和感、があるという意味だ。

犯罪というやつは恨みやら金目当てやらついカッとなったとか、内発的な動機で自分の利益になるようなことをするもんだと思うと、この事件はよく意味がわからない。愉快犯ってやつかもしれないし、これからまた検証されていくのだろうが。

これは人生格差犯罪こと
黒子のバスケ脅迫事件 - Wikipediaのときも感じた。
あの事件も別に作者に個人的な恨みはなく、“持てる人間への持たざる人間からの理不尽な復讐”というストーリーをロールプレイしていくうちに

人生で初めて燃えるほどに頑張れたのが一連の事件だったのです。
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース

といった境地に至ったみたいだが、ゆうちゃん事件も同様なのではないかと想像する。

愉快犯としてやっていくうちに、警察・検察を手玉にとり、彼らが冤罪を生み出していく様をみながら権力と戦うアンチヒーローというキャラクターに陶酔していったんじゃないだろうか。

この辺踏まえて、以前にも似たようなことを考えたことがあるなーと思い出したのが攻殻SACだった。

(もう12年前か……おっさんにもなるわ……)


自己実現としての犯罪、『きっと何者にもなれない』人間に残された最後の希望

攻殻SACのタイトルにもなってるSAC=スタンドアローン・コンプレックスという言葉の意味するところは、観たことのある人ならそれぞれ一家言あるだろうし、知らなきゃ適当にググってみればいいんだけど、簡単に『個人が無意識に集団の意向を反映した行動をする』というようなことだと仮定する。

それが高度情報化社会で多発するのではないか?みたいなことも作品テーマの一つだったと思う。まさにその実例がゆうちゃんや黒子のバスケ脅迫事件の犯人による犯罪なのではないだろうか。黒子のバスケ脅迫事件だったら「どんなに地位や権力があろうとも、ひとりの狂人によりどん底まで叩き落とされる可能性がある」、ゆうちゃん事件だったら「謎のスーパーハッカーが権力を手玉にとる」「権力による悲痛な冤罪被害者」といった大衆(のみならず権力自体も)が心の中に描いたストーリーをうまく演じようとした現れであり、このような犯罪はまだまだこれから増加していくんではないかと妄想したりもする。

フィクションを現実と混同しているように聞こえるかもしれない。スタンドアローン・コンプレックスが問題となる攻殻機動隊の世界は、脳とインターネットを直結している
電脳化 - Wikipedia
という設定で、情報の共有と引用が即座に可能となっている。だから個人が集団の意向を自分の意志と混同する、ということに説得力があるけど、現実はそんなことにはなっていない、と。

しかし、Twitterなんかは自分のつぶやきより、リツイート(引用)のほうが多い人がほとんどだと思う。自分で言葉をつむぐより、共感出来る言葉を引用していくほうが楽なのは、特にオタクだったらアニメやマンガの名ゼリフを引用するのが大好きだから理解してもらえると思う。(それでよく蔑まれるので、いかんと思ってブログ書いてみたりしているわけだが……閑話休題)
そんな行為を繰り返すうちに、自分が考えているようで実は誰かの考えを模倣しているだけにすぎないなんて可能性は(あなたも、あなた以外も)十分あるのでは?(特にネトウヨとか……ゲフンゲフン)

じゃあ、個人が集団から離れて、自己を確立できればそんな犯罪は起こらなくなるのかというと、いまの社会では難しいんではないかと思う。『何者にもなれる自由』がある世界で『何者にもなれなかった自分』は入れ替え可能なピースでしかない。

仕事で自己実現する?起業に成功する人間やエリートサラリーマンはほんの一握り。そもそもサラリーマンの時点で入れ替え可能な歯車でしかない。

趣味で自己実現する?頑張れば世界一、日本一になれる?そんな訳はない。

家族を持って自己実現する?ブラック企業勤務でそんな余裕はないかもしれない。非モテだったら?ニートだったら?

創作行為で自己実現する?オリジナルな創作なんてなく、コピーするしかないとわかっているのに?


そうなってくると、大衆が無意識に望んでいること、だが犯罪だから簡単には実行できないことを「空気を読んで」踏み越えることで注目を集め自己実現するってのは、効率的に思える。
アンディ=ウォーホルは『将来は誰でも15分間だけ有名人になれるだろう』といったらしいが
ミスター・ポップアート!『アンディ・ウォ—ホル展 永遠の15分』 - (チェコ好き)の日記
まさに慧眼なんだろうな
以上!

■まとめ
士郎正宗先生は、紅殻のパンドラもいいけど、マンガを書いてほしい。特にアップルシードの続きを……頼むよ……

引っ越しするやつはそんなに偉いのか? 『マイルドヤンキー』論に思うこと

「引っ越しが趣味」って人は健全な気がする - (チェコ好き)の日記
おもしろかった!自分も身軽な生活というのには憧れる。どのような環境でも生きていけるというのは、人間として自立している感じがあり憧れる人は多いのではないか。
俺もスタバでMBAを広げてノマドワーキングしてみたい。場所や地域にしがらみなく生きていく……カッコイイ!


ただ……地方に居続けること、同じところに住み続けることがことは悪いことなのか?とも思う。
これについてつらつら考えてみたい。
特に最近『マイルドヤンキー』なるものが話題になっているようで、この辺の記事もホッテントリになってたが、使われ方はどうも批判的だ。
マイルドヤンキーには選択肢がないという話 - 価値のない話
しかし自分には『地元から出ない』彼らにこそ担われているものがあるような気がしてならない。


-文化を定着し、維持するのは引っ越ししない人たちなんじゃないか?

はてなーは地方のエリートが多そうなイメージがあるが、そういう視点からは地方とで名をあげて上京し、都会で活躍し故郷に錦を飾ることがよい人生って思ってそう。(私もだ)
でも、例えば、地方の祭りやイベント、歴史的建造物なんかを維持するのは引っ越しし続けるような人間ではない。特に第一次産業、農業・林業水産業や伝統工芸品なんかはそうだろう。
一生を同じ地域で過ごすことでしか維持できない・成り立たないものがあると思う。


- 各地を点々とするエリートは文化的には他者が育んだ文化へのフリーライダーでしかないのでは?

日本の文化ってものを考えた時に、東京だけで成り立っていると思うだろうか?
地方の文化や遺産、それもひっくるめて日本だと思っているのが普通だろう。
さらに休日に地方に観光に行ったり、帰省したり……そういうものを維持しているのはそこを終の住処と考え、日々の生活を営んでいる人だ。
そう思えば『マイルドヤンキー』なんて呼び方は不遜だと感じる。


-まとめ

散漫になっちゃったが、言いたいこととしては最近どうも地方に住み続ける人、移動しない人を見下すような風潮を感じている。特に『マイルドヤンキー』という言葉に。
だが文化の担い手としては彼らのほうが重要な役割を果たしているのかもよ?と言いたくなった。
はてなーはメタ的に外部者の視点でいることが偉いように思いがちだけど、メタな視点を持つには、メタでない地に足の着いた生活者ありきだよーということを言いたかった感じ。

地方への郷愁を感じない、もしくは観光や農産物の購入などで地方の恩恵を受けていないものだけが『マイルドヤンキー』に石を投げなさい。
以上。

『現代オカルトの根源 ー霊性進化論の光と闇』著:大田俊寛 読んだ

目次

はじめに
第一章 神智学の展開
1.神智学の秘密教義―ブラヴァツキー夫人
2.大師のハイアラーキー―チャールズ・リードビーター
3.キリストとアーリマンの相克―ルドルフ・シュタイナー
4.神人としてのアーリア人種―アリオゾフィ
第二章 米英のポップ・オカルティズム
1.輪廻転生と超古代史―エドガー・ケイシー
2.UFOと宇宙の哲学―ジョージ・アダムスキー
3.マヤ暦が示す2012年の終末―ホゼ・アグエイアス
4.爬虫類人陰謀論―デーヴィッド・アイク
第三章 日本の新宗教
1.日本シャンバラ化計画―オウム真理教
2.九次元霊エル・カンターレの降臨―幸福の科学
おわりに
主要参考文献一覧

■まとめ
端的に言って愉快な本ではない。
「東方の星教団」「闇の同胞団(ダーク・ブラザーフッド)」「トゥーレ協会」「爬虫類型異星人(レプティリアン)」とか中二心をくすぐるワードが満載なので、そういうのに興味があれば別だが……正直に言って何の役にも立たなそうな繰り言レベルの『聖典』たちを読み込み、淡々と要約しぶったぎっていく著者は凄いというより気味が悪くなる。
「穴を掘って埋め戻す」ひとを現実で目の当たりにしたような異様さがあってちょっと心配になるレベルだ。

それらのワンパターンな実例たちを示す中で、著者はオカルトの根源にあるという『霊性進化論』を明らかにしていく。
要約すると『人間は単なる物質的存在ではなく、その本質は霊的な次元にあり、それを進化させることで神的存在になる』といったところか。
なにいってだ、と一笑に付したくなるし、著者も霊性進化論自体は妄想の体系以外を生み出さないと結論づける。
ただ同時にこれを生み出した要因は未だ解決されていないともいう。

社会学者のマックス・ウェーバーは、『職業としての学問』(1919年)という著作において次のように述懐している。
現代の文明は「無限の進歩」を前提としているため、現代人は必然的に、進歩の過程の途中で死なざるを得ない。ゆえに、彼にとって自己の生は、常に不満足で無意味なものに映ってしまう(中略)このような状況に置かれた現代人にとって、霊性進化論の発想は、ほとんど唯一の福音と思われるほどに、優れて魅惑的に響く。肉体が潰えた後も霊魂が存在し、輪廻転生を繰り返しながら永遠に成長を続けることによって、世界の進歩とともに歩み続けることができるからである。 p241-242 おわりに より

■感想
基本的に著者の考えに大いに賛同している。
本自体は面白くないんだが、問題意識が近い気がして頑張って読んだ。なのであんまり興味がないと手に取っても読み進めるのが苦痛になりそう……

引用にもあるが、科学は進歩してるのに人間というやつは全然変わってないように思える。考え方やらは多少変わったかもしれないが基本は大人になって恋愛してセックスして子作りして死ぬというパターンの繰り返しで、『個人の進化』なんてものはない。
そんな中で『真実に目覚めて霊的に進化する』というストーリーが魅力的に聞こえるのは理解出来なくもないんではないか?

またこのような考えはみんな大好きアニメ・マンガなんかにも豊富にあるだろう。隠された能力があるとかなんとか。
そういうフィクションもまたみんなが心の中で求めている『霊性進化論』への憧れを突いてるんじゃないか?という自覚は必要なんじゃないかと思ったり。

同人日記炎上と人事の仕事について +公務員叩きとの共通点

炎上気味のブックマークについて

はてなブックマーク - 暮らし - 採用活動をしていて思ったこと - 同人日記


人事屋としてちょっと感じたことをメモ書き。


まず言っておくと、人事という仕事はこういう面接とかで対外的な窓口になることもあれば、査定や人事異動を通じて人の一生を左右しかねない仕事であり、プライドを持ってやらなければならないと思ってる。
また人事は、経営者だって数年で交代するせいで短期目標だけしかみていなかったりする中、上記の仕事や育成の施策とかを通じて会社の10年後20年後に影響を与えられる重要な仕事だと自分では考えているし、そうあるべきだろう。
その中で心の中に留めておくべき『愚痴』をペラペラ公開した以上叩かれてしかるべき。
これについてフォローする気はないし、言語道断。


それを踏まえて以下感想

・スターを集めてるコメントの要旨は『勝ち組気取り正社員が調子に乗るな』『ブルーカラー見下しすぎ』といった印象
・ただブログ主は『最近は採用の書類選考や面接に駆り出されることが多い』ということで経営者でもなければそもそも人事を専門にしているわけでもない模様
・採用を最終決定するのは経営者または幹部。担当者は彼らが望む人を選別してるわけで個人の好き嫌いではない。本当に問題があるとすれば経営側
・公務員叩きと同じようなもので、個人をいくら批判しようが政府や国会を動かさなければ何も変わらない。無論プロならその中で改善に動くべきだがお手伝い程度のブログ主にそこまで望むか?というところ


言ってしまうとブックマークがテレビのワイドショーみたいなレベルでないか?という思いがある。
まあゴールデンウイークだし、時間があるはてなーの論客からのご意見に期待。

『仁義なきキリスト教史(筑摩書房)』著:架神恭介 読んだ

仁義なきキリスト教史

内容紹介
「おやっさん、おやっさん、なんでワシを見捨てたんじゃ! 」

イエスの活動、十字軍、宗教改革……。
キリスト教二千年の歴史が果てなきやくざ抗争史として蘇る!

「あいつら、言うてみりゃ人の罪でメシ食うとるんで」

第1章 やくざイエス
第2章 やくざイエスの死
第3章 初期やくざ教会
第4章 パウロ--極道の伝道師たち
第5章 ローマ帝国に忍び寄るやくざの影
第6章 実録・叙任権やくざ闘争
第7章 第四回十字軍
第8章 極道ルターの宗教改革
終章 インタビュー・ウィズ・やくざ


ジャンプ感想で有名なThe男爵ディーノhttp://blue.ribbon.to/~cagami/ 架神恭介さん新作。
キリスト教をやくざにたとえたら面白いよね!という思いつきを本気でやったらこうなった、という痛快娯楽小説。
キリスト教」が「キリスト”組”」になって登場人物はすべて広島弁、彼らの起源から世界制覇へ向けての道を追体験できます。
宗教学かじったくせに聖書も読んだことないボケ野郎ですが、おそらく『強引な解釈』『大胆な脚色』はあれど、出来事そのものはありのまま取り上げられてると思います。
なのでキリスト教における大きな出来事を頭の中の年表に書き加えられる、くらいの勉強にはなるか?
ただ、そんな態度よりは『キリスト教ってこんなすごいエピソード満載なのかw』くらいの気持ちで楽しく読める快作です。
読んで損なし。

そもそもキリスト教とやくざって共通点あるの?

あるんじゃないか。こちらのブログが素晴らしいまとめを書かれていたので引用。

・道を極める、と書いて極道。そういう意味では、宗教も一つの「道」であり、それを極める「宗教家」「信者」は”極道”と呼べなくもない。
・その宗教に入信することは「盃を交わす」と類似する。
・宗教側から信者を除名することを「破門」と呼ぶ。
・何らかの名目で金品を徴収し、それを収益とすることが「シノギ」と似ている。
・宗教は、信者を増やすことが存在意義。「縄張り争い」という事ができる。
・当然ながら、信じる宗教が違えば争いが起きる。それは「抗争」に似ている。
・ある教義を効率的に広めていく(縄張りを広げていく)ためには、分派をつくって分割統治していく必要がある=分家ができる。
・国家権力との無闇に戦うのは得策ではない。国家とうまく(合法的に)付き合うことができれば勢力拡大ができる。
http://www.gixo.jp/blog/2138
ギックスの本棚/仁義なきキリスト教史(筑摩書房 /加神恭介著)]

考えるほど似てるね!

宗教が『信仰』というよくわからないもので結びついているように、やくざも『任侠道』という一般人には理解しがたいものに従ってる(という建て前のわりに欲深かったりする)のが最大の共通点なんでは、と自分では感じている。

物足りないところもある

やくざとキリスト教を組み合わせた発想は素晴らしい。
ただ、血みどろの歴史や策謀に焦点あてすぎて、魅力がないよなあ、とも思う。
宗教の『信仰』が否定しきれないように、やくざの『任侠道』も簡単には否定しきれない魅力がある。
やくざの破天荒な生き方や、仁義に命をかける姿に憧れたり、災害のとき率先して社会貢献をする、『やくざが無ければ社会不適格者の行き場がなくなりかえって治安が悪化する』といった自己弁護など、それで彼らが正当化されるわけではないが、頷きたくもなる側面がある。
キリスト教にも血みどろの歴史とともに、個人の救いとなったり、社会貢献や開拓者のモチベーションとなるなど、プロ倫とかもそうで人類への貢献について否定しきれない面がある。
せっかくやくざに仮定したのだから、そういう宗教の多様な側面を人情ものみたいにして加えれば、小説としての深みも増したのでは?
ただ筆者もあとがきで「旧約にもルツ記やヨナ書など心温まるテキストはあるし」「ホロコーストに直面した教皇ユダヤ人救済に動いた」とか記しており、紙幅の都合で削除したのだろう。もし続編があればぜひ入れてほしい。

まとめ

上記のような偏った視点なので、中高生なんかが読んで『キリスト教最悪wwwひどすぎwww』みたいな単純な考えにならないかが心配。
ただ、ある程度の知識があり、ものごとを斜めに見られる人なら『そうきたか!』と抱腹絶倒できる快作です。オススメ!

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

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読んでみるかな~