『仁義なきキリスト教史(筑摩書房)』著:架神恭介 読んだ

仁義なきキリスト教史

内容紹介
「おやっさん、おやっさん、なんでワシを見捨てたんじゃ! 」

イエスの活動、十字軍、宗教改革……。
キリスト教二千年の歴史が果てなきやくざ抗争史として蘇る!

「あいつら、言うてみりゃ人の罪でメシ食うとるんで」

第1章 やくざイエス
第2章 やくざイエスの死
第3章 初期やくざ教会
第4章 パウロ--極道の伝道師たち
第5章 ローマ帝国に忍び寄るやくざの影
第6章 実録・叙任権やくざ闘争
第7章 第四回十字軍
第8章 極道ルターの宗教改革
終章 インタビュー・ウィズ・やくざ


ジャンプ感想で有名なThe男爵ディーノhttp://blue.ribbon.to/~cagami/ 架神恭介さん新作。
キリスト教をやくざにたとえたら面白いよね!という思いつきを本気でやったらこうなった、という痛快娯楽小説。
キリスト教」が「キリスト”組”」になって登場人物はすべて広島弁、彼らの起源から世界制覇へ向けての道を追体験できます。
宗教学かじったくせに聖書も読んだことないボケ野郎ですが、おそらく『強引な解釈』『大胆な脚色』はあれど、出来事そのものはありのまま取り上げられてると思います。
なのでキリスト教における大きな出来事を頭の中の年表に書き加えられる、くらいの勉強にはなるか?
ただ、そんな態度よりは『キリスト教ってこんなすごいエピソード満載なのかw』くらいの気持ちで楽しく読める快作です。
読んで損なし。

そもそもキリスト教とやくざって共通点あるの?

あるんじゃないか。こちらのブログが素晴らしいまとめを書かれていたので引用。

・道を極める、と書いて極道。そういう意味では、宗教も一つの「道」であり、それを極める「宗教家」「信者」は”極道”と呼べなくもない。
・その宗教に入信することは「盃を交わす」と類似する。
・宗教側から信者を除名することを「破門」と呼ぶ。
・何らかの名目で金品を徴収し、それを収益とすることが「シノギ」と似ている。
・宗教は、信者を増やすことが存在意義。「縄張り争い」という事ができる。
・当然ながら、信じる宗教が違えば争いが起きる。それは「抗争」に似ている。
・ある教義を効率的に広めていく(縄張りを広げていく)ためには、分派をつくって分割統治していく必要がある=分家ができる。
・国家権力との無闇に戦うのは得策ではない。国家とうまく(合法的に)付き合うことができれば勢力拡大ができる。
http://www.gixo.jp/blog/2138
ギックスの本棚/仁義なきキリスト教史(筑摩書房 /加神恭介著)]

考えるほど似てるね!

宗教が『信仰』というよくわからないもので結びついているように、やくざも『任侠道』という一般人には理解しがたいものに従ってる(という建て前のわりに欲深かったりする)のが最大の共通点なんでは、と自分では感じている。

物足りないところもある

やくざとキリスト教を組み合わせた発想は素晴らしい。
ただ、血みどろの歴史や策謀に焦点あてすぎて、魅力がないよなあ、とも思う。
宗教の『信仰』が否定しきれないように、やくざの『任侠道』も簡単には否定しきれない魅力がある。
やくざの破天荒な生き方や、仁義に命をかける姿に憧れたり、災害のとき率先して社会貢献をする、『やくざが無ければ社会不適格者の行き場がなくなりかえって治安が悪化する』といった自己弁護など、それで彼らが正当化されるわけではないが、頷きたくもなる側面がある。
キリスト教にも血みどろの歴史とともに、個人の救いとなったり、社会貢献や開拓者のモチベーションとなるなど、プロ倫とかもそうで人類への貢献について否定しきれない面がある。
せっかくやくざに仮定したのだから、そういう宗教の多様な側面を人情ものみたいにして加えれば、小説としての深みも増したのでは?
ただ筆者もあとがきで「旧約にもルツ記やヨナ書など心温まるテキストはあるし」「ホロコーストに直面した教皇ユダヤ人救済に動いた」とか記しており、紙幅の都合で削除したのだろう。もし続編があればぜひ入れてほしい。

まとめ

上記のような偏った視点なので、中高生なんかが読んで『キリスト教最悪wwwひどすぎwww』みたいな単純な考えにならないかが心配。
ただ、ある程度の知識があり、ものごとを斜めに見られる人なら『そうきたか!』と抱腹絶倒できる快作です。オススメ!

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

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読んでみるかな~