ヒーロー映画としての『この世界の片隅に』
映画『この世界の片隅に』を公開翌日の11/13に池袋で観てきた。
ネットで評判の良い映画を観に行く程度の映画好きとして、この映画もその前評判の高さから期待を無茶苦茶高くしていたのだが、期待をはるかに越えるどころか散々に打ちのめされるレベルだった。恐らく映画史に残るであろう映画がリアルタイムで観れるというのはなかなか無いと思うので、少しでも興味があればぜひ観にいってほしい。
しかし、この映画はその素晴らしさにも関わらず本当に感想が書きづらい。内容もディテールの詳細さ含めて書くべき事がないどころかありすぎるぐらいなのだが、「容易に感想を書いてはいけない」という気にさせられる。
恐らくそれは、この映画が主人公浦野(北條) すずさんの人生をあまりにも実感を込めて描いているから、容易には語れない、語ってはいけないという気にさせてしまうからではないか。(普通の人間は他人の人生を簡単におもしろいだの感動したなんて言わないし言えない。自分の人生だってどうなるかわからないのだから、ここで簡単に言える人間は評論家か作家の才能があると思う)
ここまで言った上で何か書くことがあるのかと自分でも思うが、とりあえず一回観にいっただけの時点での泣いたポイントを控えておこうと思う。内容にも触れてるので続きを読むで
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アラン・ムーアのヒーロー論メモ

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「我々はみんなすごいパワーを持ってるが、たいていの人間はソファに座ってビールをかっくらってテレビを見ているだけだーーーもしテレパシーとかスーパー・ブレスとか飛行能力とか無敵の身体を手に入れたとしたって、やっぱりソファに座りこんでテレビを見ながらビールを飲んでるだろう……我々が阿呆なら、できあがるのは光より早く走ってかっちょいい服を着た阿呆だ。それで世界がよくなると思うかい?
重要なのは普通の人間こそが素晴らしいものだということなんだ。普通の人ができること、普通の人間が可能なあり方こそが素晴らしいんだ。世界を良い場所にも悪い場所にもできる、そのことが素晴らしいんだ。スーパーパワーなんて要らないんだよ……『ウォッチメン』やそのあとの作品で、わたしが言わんとしていたのはそういうことだ」
(柳下 毅一郎、『新世紀読書大全 書評1990-2010』p163、初出〈映画秘宝〉2009年5月号)
アラン・ムーアの発言としてTwitterとかで見つかるけど、出典がわからなかった。最近柳下毅一郎さんの『新世紀読書大全』読んでたらそれらしいのがあったのでメモ代わりにブログに載せとく。
正直この引用だけだと条件満たさないので少し付け足しとくと、ガッチャマンクラウズやペトロニウス氏のブログ(物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために)でよくいわれている脱英雄譚みたいなことを踏まえて、その辺を一番はじめに自覚的にやったのはアラン・ムーアなんじゃないの?と思ったから。
しかしこの引用の元発言自体が出典書かれていないので、アラン・ムーア本人の発言はどこなんだろう……この辺ふまえてで近年の日本のアニメマンガについてなんか考えたいことや言いたいことがモヤモヤしてる
身につまされる『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』読んだ

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自分も子どものころとかは「サラリーマンなんてなりたくないぜ~そんな人生では満足できないぜ~」とか嘯いていたくせに、案の定サラリーマンとして日々糊口をしのいでいるのだから笑っちゃうが、和田さんの後悔はまたそういう人間にピタッとはまっており、胸に痛い。
クリエィティブな能力の開花は、早熟な人もあれば、かなり遅咲きの人もいる。就職する頃にその分野で何か注目を浴びるような仕事をしていない人は、早熟であることを諦めた方がいいのではないだろうか。
(自分の仕事が事務系なこともあり)誰がやろうとあまり変わらないと思うと、せっかくなんだから自分にしか出来ないことをやるべきなんでは?とか思って発作的に辞めたくもなるのだが、とりあえず天才でないのは自明な年齢なわけで、うーん、まずは仕事を頑張って幸福な家庭を築くべきかとか余計な雑念ばかりが募る年頃なんやよねえ……
そしてサラリーマンとして、組織人として生きていくこと、出世することの大変さもわかってくると、そういう人を見る目も変わる。「家庭の事情」が数十年存在しない人なんてまずいないわけで、ほとんどの人は何らかの苦労を抱えながら、かつ仕事も回していると思うと、サラリーマンや組織人を馬鹿には出来ませんわ。
(学校の部活を思えばわかるけど、せいぜい十数人から数十人の中でレギュラーになるのも大変なんだから、会社で成功するのも大変なんだということに子どもの頃は気づかんもんなんだと今更反省する)
和田一郎さんは失敗したというけれど(この辺finalventさんにも近いが)現在は会社を興して軌道に乗せ、単著出してるわけで十分チャラにしてるというか大成功だろ!と思わされるので過剰な感情移入は危険だが、人生振り返るいいきっかけの本でした。小説も楽しみにお待ちしてます。
さてどうすっか自分の人生……
アニメ『ガッチャマンクラウズインサイト』の最終回みての感想(編集中)

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そんな感じで、正直あんまり乗れないなと。それでもはじめちゃんやルイルイはかわいいし、丈さんや清音パイセンが喋るだけで笑えるのでキャラクター重視な鑑賞姿勢だった。
期待はしつつも、このまま予定調和で終わるかと見せかけて11話と最終回12話で、個人的にえっ、となる展開があった。マイナスな意味で。
あえて抽象的に要約すると


はじめによる、(「サル」たちを目覚めさせるための)英雄的な自己犠牲というような形で物語を納めるのだとしたら、一期からずっと積み上げてきたこの作品の「思考」を台無しにすることになってしまいかねない。確かに、はじめは、一期の当初から並外れた賢者であり超人であった。しかしそのような超人もまた、多の中の一人でしかないというのが、この物語の画期的なところなのではなかっただろうか。
これは実際恐ろしいことをやったな、というのが自分のインサイトへの評価になる。
さんざん自分で考えろ、といったテーマを誤解されないよう伝えてきた上で、宿題の如く最終2話を突きつけてきた!
あなたはこの結末をどう捉えるのか?
・煽動家は空気を読んで嘘泣きする
・はじめちゃんを神格化する群衆もいる
・その群衆を批判するガッチャマン、しかしそれも自分の好む方向に誘導しているだけでは?
・混乱の原因たるクラウズやくうさまは変わらず存在し続ける
・昏睡から目覚めたはじめちゃんは変わったようで変わらないつばさちゃんにつっこむ
(相変わらずッスね)
受け取り手を信頼しているといえるかもしれないが、視聴者を試すような舐めくさったマネともいえる。自分のような前期からのファンには作り手への信頼と物語構造への予想へのひっかけをくらわせつつ、前期を知らない受け取り手にはこの作品が求めるところを端的に実感させた試みだったのでは?

■インサイトのラストは一ノ瀬はじめの自己犠牲なのか?
またはヒーローとはなにかについて
ガッチャマンクラウズ一期のまとめとインサイト3話までのメモ
ガッチャマンクラウズの続編インサイトがはじまってもう4話なので、ここらでちょっと思ったところまとめとこう。
SFの続編が前作からさらに突っ込んだ話をすると理解が難しくなる、という現象を個人的には『攻殻2現象』と呼びたいのだが、それは置いておいてもインサイトはなかなかわかりにくいよな、と思う。
またそもそも答えのないテーマに突っ込んでるから爽快感もないし。
だからこそおもしろいと思うし応援したいんですけどね。
前期の個人的まとめ
- 地球には人類が気づかないうちに宇宙人が来ていて、ガッチャマンという宇宙警察みたいなよくわからん組織が秘密裏に対処してるよ。ガッチャマンは宇宙人のメンバーと、人類から選ばれた存在(なぜか日本人だけ)がメンバーになって活動してる。

- ベルク・カッツェという悪い宇宙人が、ギャラクターというすごいSNSを開発した爾乃美家累(にのみやるいと読む。天才プログラマーの上に女装少年)に、そのSNSの使用者に“クラウズ“という遠隔操作スタンドみたいなものを発現させる能力を与えるよ
(累くんは実際カワイイ)
- ベルク・カッツェ、爾乃美家累から能力を奪い、SNS登録者すべてにクラウズ能力を与え、さらにクラウズ能力者たちを扇動してパニック引き起こす
- 爾乃美家累、ガッチャマンの協力のもとベルク・カッツェから能力を回収。クラウズ能力を無くすのではなく、ゲームめいた設定でクラウズ能力者たちを誘導し、問題解決に成功。クラウズ能力は政府公認になったよ。爾乃美家累はガッチャマンメンバーになったよ《ここまで前期》
- 一年後、ガッチャマンはタレント活動したりするメンバーもいて社会に溶け込んでるよ。でもクラウズ能力を無くすべきという過激派みたいなんが出てきてまいったね。あと花澤ボイスのあざとい宇宙人がでてきたよ《ここまで3話》
(ゲルルルルってなんだよ)
気になるところ
- 前期から一年あって日本政府はクラウズ能力公認したのに、具体的になんかしてないの?法制化とか対策省庁の設置とか。超能力が一般化した社会ならその辺も描写してほしい
- ガッチャマンは日本以外に説明求められたりして出張必要なんじゃねーの?国連とかに誰か常駐くらいしとかにゃならんのでは?
- ガッチャマンは基本的に地球に干渉しないなら、少なくともクラウズ能力が悪用された場合にどうするかの意思統一くらいやっとけよ。行き当たりばったりすぎんだろ
『「バカダークファンタジー」としての聖書入門』著:架神恭介 読んだ
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内容紹介
神は気まぐれに人を惨殺し、キリストはチンピラのリーダー、モーセは十戒の石板を叩き割る!
キリスト教の教典『旧約聖書』『新約聖書』は、慈愛にあふれた聖典と思われているが、
実際は、神も預言者も一般人も、殺す・すねる・嫉妬する・陥れる・後悔すると、
理不尽で血腥いエピソードのオンパレードだった……!
そんな矛盾と残虐行為の向こうに見えるもの。
それは古代の人々の「原罪」──そう、どうしようもない人間臭さなのだ。
衝撃的な“聖書”の真実を、古典解説の鬼才・架神恭介が書き尽くす!【主な内容】
Ⅰ 旧約聖書
ヤハウェの天地創造/アダムとエバの追放/昼ドラ創世記/ヤハウェのドキドキ義人実験/
ヨセフのドッキリ大作戦/モーセ、無茶振りされる/エジプト魔術大戦/イスラエル人、ぶつくさ文句を言う/
いやしんぼヤハウェ/ミスって丸焦げ/ヤハウェ変態プレイきらい/カナン人は皆殺しだ!/異教への警戒/
人間不信のうた/対ベニヤミン制裁戦争/ダビデの活躍と逃亡/ヤハウェの三択プレゼント/
ソロモンの治世と王国分裂/ぷりぷりヤハウェ/すっきりヤハウェ/新しい神殿の幻 ほか
Ⅱ 新約聖書
イエス、生まれる/イエス、説教を垂れる/イエス、家族から気が狂ったと心配される/
イエス、弟子の不甲斐なさにがっかりする/イエス、隣人愛について語る/イエス、地元でナメられる/
イエス、ごはんの前に手を洗わない/イエス、異国人を差別する/イエス、口封じをする/
イエス、部外者に優しい/イエス、子供に優しい/イエス、神殿で暴れまわる/イエス、最後の晩餐をする/
イエス、裁判にかけられる/イエス、死刑になる/イエス、復活する/残された人たち/はじめての殉教/
目からウロコの落ちたパウロ/エルサレムちんこ会議/ベスト・オブ・パウロ寝言10選/ヨハネ黙示録 ほか
付録
聖書に登場するキャラクターたち/聖書に登場するアイテム/聖書に登場する魔法・スキル
内容(「BOOK」データベースより)
古典解説の鬼才・架神恭介が「聖書」を読みつくす!血腥く、理不尽で、意味不明。あれ?聖書って慈愛の書じゃなかったの?キリスト教徒が全力で見ないふりしてる、聖書の真実。
ちょっとものを知ったふうな口をきく以上、西洋思想の根幹たる(であろう)聖書ぐらい読んでおかなきゃな、と思いつつずーっと読んでこなかった。
そんな需要を見越して書かれたんだろうこの『バカダークファンタジーとしての聖書入門』、聖書初体験者としてはもう笑うしかない展開のオンパレードでお腹いっぱい。
旧約聖書ではヤハウェは邪神、もしくは性質の悪いヤンデレにしか思えない。個々のエピソードは胸糞悪いものばかりで書き起こすのも嫌になるから適当に読んで欲しいが、ヨブ記とか特殊な例だろうと思いきや、もっと理不尽かつ意味不明なエピソードが盛りだくさんというだけでイメージがつかめるかと。
それを踏まえた上で新約聖書では素直に「イエスはすごい人だったんだなあ」と思わせるのは確か。これはみんなついていきますわ。そしてイエスというカリスマ亡き後組織がどう運営されて、拡大していったかというところも読み取れておもしろい。※それは同じ架神さんの『仁義なきキリスト教史』がおもしろかった
で、個人的には『なんでこんなわけわからない本を崇めてる奴らがこれほど文明を発達させたのか?』という疑問に行き着いてしまうのだが、自分の予想としては『一見意味不明な内容を絶対に正しいものと受け入れるために、そこへ至る論理をなんとかして見いだすための思索(屁理屈ともいう)が最高の思考トレーニングとなった』ということなんではないかと考える。帰納法だけでなく演繹法を所与のものとして育った違いというか
これで聖書を読んだ気になるのはどうかと思うが、「読まなくてもいいかもしれない」という腹を決める助けにはなるかも

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『イスラーム国の衝撃』メモ

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『イスラーム国の衝撃』、しばらく前に読み終わっていて、何か書こうかと思っていたものの、内容の深刻さに筆が進まなかった。
浅学上等で自分用のメモとして書いとこうと思う。
※概要が知りたい方は冬木さんの書評が適切にまとまってると思うのでどうぞ
イスラーム国の衝撃 (文春新書) by 池内恵 - 基本読書
宗教って悪なのかな
多少宗教を勉強してきた身としては、宗教には良い面も悪い面もあって、精神の救済もするけど十字軍みたいに虐殺略奪を正当化したり、オウムみたいなものも生み出すよね、なんて知ったふうなことを思っていたわけだ。それでも十字軍は過去のものだし、オウムはまあ例外、と。
それがイスラム教という三大宗教の一角が現在進行形で虐殺略奪の正当化に使われてるってのが「あ、これは擁護しきれないかも」となって勝手に悩んでいた。
自分はコーラン読んだことないし、イスラム教についても常識レベルの知識しかないから、池内先生のいうこと鵜呑みになるんだが、これだけ真摯な文章書く人が適当なこと言うわけないだろう。多分。
p172 「イスラーム国」が発する言説は、何かオリジナルな思想を主張することが目的なのではない。自らの権力奪取と支配を宗教的に正当化するために、イスラーム教徒が一般的に信じているか、あるいは強く反対できない基本的な教義体系から要素を自由自在に援用してくる。
アフリカのこの辺も参考
朝日新聞アフリカ特派員三浦記者による写真とレポート『子供にとって世界最悪の場所・中央アフリカの現実』 - Togetterまとめ
イスラム教の問題点
個人的には、「イスラーム国」の問題も先に貧富の差や民族問題なんかがあって、それを宗教が補強してしまっている、ということだと思ってる。
仮に宗教にそういう悪を促す側面があっても、「宗教なんて無くせ」と言って何かが変わるわけでなし、どう付き合うかが重要なのは間違いない。
ただイスラム教はこういう虐殺略奪や奴隷化を肯定する面があるし、それを批判して変わっていけるような仕組みになっていない。多分「イスラーム国」は早晩潰されるだろうけど、反グローバル化、反アメリカの旗印としてイスラム教を利用した第2第3のイスラム国が現れるのではないかと、読んでいて思わされた。
で、なんでキリスト教とかではこうならないのか、と考えたときのヒントになりそうな部分も引用しとこう。
p149 キリスト教では、「神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ」と政治と宗教の分離が定められ、ユダヤ教では、異教徒に支配されている状態を正常ととらえ、終末の日に正義がなされることが待望される。それに対して、イスラーム教は、ムハンマドが、メッカを逃れ、メディナで共同体の政治指導層として迎え入れられ、統治や軍事を司って、神の法を施行する側に立って発展していった。
つまるところイスラム教は『政教一致』が最善と考えていて、全人類がイスラーム教徒でかつ単一国家になるのが「教義上」正しいわけだ。
政教分離が当たり前だと思っている人間にはまずそこを理解するところから始めなければならない。そんなの時代遅れなんて言って訂正してくれる預言者やイスラーム学者が現れるか?原理主義者から殺されて終わりだろう。教義を見直してくれるムハンマドはもういない。教義を都合よく使う悪人が生まれるのを止める仕組みがないのだ。
じゃあどうすればいいのか
一番簡単なのは、みんな金持ちになるかして宗教なんかに興味を持たなくなることだろう。出来るかどうかは別として。出来ない以上第2第3の「イスラーム国」が現れるだろうと思えて暗澹たる気持ちになる。